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2009年7月16日 (木)

ピエロ胸像(追記090719)

久しぶりにチェンソー彫刻・・・と思ったら、以前に調子を崩していたG3200の1台がオイル供給不良でチェンのバインドが起きてしまい使用不能。
 朝一番で川越の購入店へ持参し、ポンプ修理他の依頼をした。
 結局、MS2001台で遊ぶことにしたけれど、肝心の材の残りが少ない・・・・

Dscf0511  やっぱ貧乏症が起きて、今日は杉の豆短コロで午前中だけ遊ぶことにした

  目的は山形大会にぶつける作品のイメージ作り。

 モチーフはフランク永井さんの「公園の手品師」というナツメロ   あ、いや、その・・・ 大会のテーマの「自然豊かな山里」 coldsweats01  です!

 須佐卓郎さん、HPで紹介してくださっているナツメロ、いつもいい曲を有難うございます。

 ♪鳩が飛び立つ山里の公園♪ 

  って、ちょっと苦しいところがあるかな ?。

ま、本当に自然が必要なのは都会の公園のほうなんぢゃないか と思うわけだ。
 みんな自然ってのが何を指すのか、ちゃんとわかっている事にしとくけど、本当にいいのかなー って思うことが増えてます。

でもさ、

 山里に大きな銀杏の木があって、秋の気配を忍ばせる陽だまりのなか、風に驚いた鳩が飛び立つ。 その羽音にあわせるかのように、銀杏は静かに色づいた葉を散らす。 まるでトランプカードを撒く手品師のピエロのように。

 そういうシッチュエーションの中心に、このピエロを置いて

  どう?似合う?

 って言ってみるだけのために、私は9月12・13日の第四回東日本大会チェンソーアート競技大会に選手出場します。 

 あー。  いいのかなー  catface


 

鳩が飛び立つ

 公園の

 銀杏は手品師

  老いたピエロ♪

Dscf0512  薄れ日に

 微笑みながら

  季節の歌を~

 ラらラ♪

  ラらラ♪

  ラらラ♪

  歌っているよ♪

 Dscf0513    

 貸してあげよか

 アコーディオン

  銀杏は手品師

  老いた ピエロ

 

 作詩 宮川哲夫  作曲 吉田 正  昭和33年

 あだだだ・・・ 高校入試やら何やら色々あって、オイラ半分グレかかっていた頃の唄だったんだ

Dscf0514
 うーん。

 懐かしい歌だけれど、あまりヒットして騒がれたというほどの曲ではなかったような気がする。

 ん・・・

 なんでだろうね。

  こんなに懐かしくて優しくて とてもお洒落な歌なのに ね。

(追記090719)----------------------------

 安曇野教室では、塾長やアイバーガーさんから 思い切り自分のカービングして良いという承諾を貰った。

Dscf0585  

 うーん なんてラッキーな♪

 

 喜んで気分の紐がゆるんだとたんに、肝心のピエロの構図の迷いやら色々な覚悟の不用意さが露呈して アタマの周りのデザインが決まらないまま時間を失ってしまった・・・

 大会に臨むからには、ちゃんとカットの時間計算もしてきちんと技に磨きをかけておくのが礼儀かもしれない。

 でも、思い切りアドリブなこの世界。 とことん自分の思いのたけを材にぶつけるのも礼儀のありかたのひとつだろう なんちって (汗)

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コメント

>ま、本当に自然が必要なのは都会の公園のほうなんぢゃないか と思うわけだ。
↑これ本当わかるわかる!
日本はどうして街と緑を切り離しちゃうんでしょうね!
仙台なんかは上空から街を見れば、確かに緑の多い方の都市だとは思いますが、それでも街に生えてる緑という感が否めない・・・
そこいくと、西洋の街づくりは町と町が絶妙な間隔で繋がっており、その間に必ず森が存在します。本物の森です。
日本と西洋の土地の統治に関する歴史の違いが深く関係してるのかな?とも思うのですが、日本の大都市はちょっと自然との距離がありすぎですね。
飛行機や地図で関東地方を見ると、大勢の人間がこんなに狭い土地に暮らし働いているというのに、どうしてこんなに広いゴルフ場がこんなにもあるの?って思ってしまいます。
しかもゴルフ場は自然を壊してますよね。
ま、ゴルフに恨みがあるわけではないのですが、土地の割り振り方にかなり疑問を抱いてしまいます。
やはりそれこそ「自然豊かな山里」に暮らすのが人間にとって一番自然な環境だと思えてくるのです。

本当ですねぇ仕事柄、公園、河川、山の自然配慮型○○ってのがありますが、
自然に配慮なのか人に配慮なのかと言う疑問はあります。

昔本気で自然配慮型って物に勉強しようかといくつか本を読んだことがありますが、多本の始めか最後の一、二行に
「多自然型工法とは、自然のままではなく見た人が自然だなぁっと思える環境づくり・・・」みたいなことが書かれたのを見て今でもトラウマになってます。

「自然豊かな山里」このテーマは凄く好きですねぇ
選手が思い思いの作品をこの大きなテーマのもと、見せたい、伝えたいって、キコリたけでなく、木に見せられた方々が山形に集結して奮闘する姿は好きです。

音やん♪さん、前回のブログで紹介した浜田久美子さんの「森のゆくえ」にもご指摘の都市森林の事が書いてありました。 たぶん、都会の公園では木も人も大差ない年齢のはずなんですが、日本では不思議とみな木を拝んで護って貰おうとしてしまう。 同じ60歳70歳なら人間が木を労わり護ってやるって事もあると思うんですがね。
 その結果として尊崇され、つまり放置されその立地条件としては大きくなりすぎてしまった木はいきなり根元から伐られてしまったりする。
 やはりメンテの技術が確立しただけでは駄目で、文化として人間が木と友達になることができる素地が必要なんでしょうね。
 だから、今のオトナたちには希望を持たない。 子ども達に木や森を好きになってもらうところからやり直すんだ というNPOがあります。
 色々と考えて行動してみた結果、私も木に登るようになってしまいましたけど(汗)これでいーのかなー なんちって catface

青JINさん、コメントさんくす です。
 明治神宮の森はどのようにして構築されたか という(森田さんの出版された)記録本を通して大正9年に公園が整備されるまで代々木のあの界隈には森など影も形もなかったことを知りました。
 100年150年の計画表をつくって森の相遷移を予測して適切な樹木種を配置した結果、わずか60年の歳月で現在(20年前)の極相林を実現したという事です。  たった60年で東京は「永遠」を手に入れてしまった という事になるのでしょう。
 よくご存知のとおり、足尾鉱毒煙害で枯死した広大な森がありますが、放置しておけば幾千年の、あるいはその程度の歳月では到底足りないと思われる森林の回復も、植生盤やアスファルト撒布などの適切な工夫と汗とファイトとで急速に実現されてきています。
 
 これからも人は自然と共に生きてゆける、そういう確信をもたらすものがこれらの事跡だろうと思います。 

  自然というのはよく失敗をしています。 失敗を繰り返しています。 私たちが 単に自然を有難がるだけの姿勢から、おおきく自然を友人とする姿勢に脱皮するのは、いつのことになるのか そんな思いを新たにすることもあるのですね。
  事の本質を見極め、植林地では効果的な収穫を行い、都市森林では適切な技術を駆使して巨木と都会人との共生を可能にする、 そういう林業文化が産まれてきて欲しいという思いをピエロの歌に籠めたいものです。

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