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15年も前の事など

« 手紙-アンジェラ・アキさんの歌に添えて (補記081026) | トップページ | 今日のフクロウ »

2008年10月30日 (木)

わすれもの・・・

なぜかは知らないが、思わぬところから伐採や応援の依頼などが舞い込むようになってきた。 考えてみたらスリング&シャックルはOさんのヤマ、クレモナ20mロープを1本所沢の宮司さんのヤマ、あちこちに仕掛けておいて回収していないギアが散在していることを思い出した。
 昨水曜の定期清掃活動後、ちょっと忘れ物をとってくるからと家内を車にまたせてOさんのヤマの檜に登り高価なスリングと太目のシャックルを回収。 

Dscf1104_2
止せばよいのに藪蚊の群がる車の外に出て写真をとってくれた家内が、観察した結果トップまで80ステップで登ったとレポートしてくれたが、所要時間は?と聞いたら計ってなかった とノタマウ。
 たぶん、車を停めてから撤収まで全部で40分程度の簡単なクライミングだったが、思い出してみれば最初のころはこんな作業でも3~4時間はかけていたような記憶がある。 なんとなく、習熟してきたのかな?なんて自覚が生まれる。

 今日は所沢へでかけて仕掛けておいたロープをつかって枯れはじめた電線傍杉の伐採を片付け、クレモナ12mmロープを回収してきた。。

Dscf1109_2

Dscf1108

 これも伐採から撤収まで40分程度。   セッティングは毎度のポータラップ+フィドラでのロープ架け。

 まあ、細かく玉切りまではしてないから、40分とかそんなもんで普通なんぢゃないかと思うが、迷いが無くなっているだけ習熟度があがっていることは感じる。

 習熟と言えば格好がいいけれど、本当は、そろそろ危ない段階になってきたYOってことなのかもしんない(汗)

 写真の左下隅に写っているように、同じ場所の並びで、尊敬していた植木屋さんがバケットに乗って芯切りをした道脇の杉がなんだか枯れ始めていることに気がつき ちょっとショック。

まあ、植木屋さんも神様ぢゃないからね。 そういう事もあるんだと実感しておくだけで、まあ、いいんだけど。 

Dscf1111  
どっかの誰かさんが言っていたけれど、日本には巨木文化ってのは育ってこなかったんだとか。
 

 

 

Dscf1114  文化だとか芸術だとか言うものは本質的に余裕のあるところにしか産まれない ってのはメソポタミア以来の人類史の数少ない真実のうちのひとつ。

 
 

 西欧のように、個人が巨木を大切に維持してステータスシンボルにするという風土は、同じようなものを探すと神社の杜にいきついてしまう日本には、たしかになかったものかもしんない。  

 ましてや、巨木を維持管理する技術なんて・・・ 日本にあるのは人命を無視したような手法・芸の類のものしかないんぢゃないだろうか。  あまり詳しいことは知らないけれど、箱庭盆栽を全否定する積もりもないってわけだし。

Dscf1115

 それにしても、巨大な樹木が放つオーラって、バークレーとかああいうごく普通の町の中に溶け込んでいるときにこそ輝くんぢゃないかと思うんだが、 そういう景色を白神山地のブナ林に押し込めておいて、樹木に勝手に神性を与えてありがたがるという生き方しかできないのが日本人なのかな。 

 コタツにあたって遠い山の上に封じておいた自然を愛するというのも、必ずしも悪くはないんだろうけれど。

 

 これからそれをどう変えていくのか、変えずにおいておくのか、おけるのか。

 
 ゲームに参加する実力を養っておかなければ、いつまでたってもただの傍観者でしかないってわけなんだが、枯れ杉ひとつ満足に処理できない森サポに、そろそろ愛想を尽かすべきなのか、それとも、これからカツを入れるべきなのか。

 ヤマのフクロウには判らないことばかりだ。

 帰路、神社境内で大切にされているおしん像(踊り子像とも言うか)をみてきた。

 幼い子を連れた若い家族が3組ほど、のどかな日差しの中の会話を楽しんでいた

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コメント

日本の巨木は信仰の対象であって、屋敷の樹木は、利用する事が目的だったと思うのです、とは言っても色々な価値観が欧米化する中、アーボリストと言う人種も必要になると思います。

 山仕事さん、お子さん達とのクライミング楽しそうですね。 なんとも裏山椎(^^)です。

 おっしゃるとおり、日本文化の巨木に対するスタンスは信仰に似ていると思います。
 まあ、信仰で解決できることってのは具体的な形をとるとき、やっかいで不純な形になり易いわけですし、実務を担当しようとする者の志向はあくまでプラグマティックであるべきなんだろうという気がしてます。
 よく言われるように、日本の里山はすでに歴史上未経験の危険ゾーンに入ってしまっているとやら。 怖いですね(--;
 
 10月31日に日比谷公園でISAの講師がリギングの技術指導をしました。 
 私は参加できなかったんですが、友人の説明によれば(そのハワイの講師の説明では)大きな樹を切るときには日本の建築確認のような手続きが必要で、権限を持ったアーボリストが指示すると伐採禁止などの処置がとられることもあるんだそうです。
 アーボリスト文化ってのは具体的な登高技術だけでなく、自治体と樹木との社会学的関係の構築を含めた検討が前提になるんだろうと思います。
なんか、難しいですね (--;

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