「少年時代」という曲は
井上陽水の大傑作だと思うが、あの詩の中の「風あざみ」という詞に少しこだわりを感じている というのが今日の私の佛草(ブツクサ)のテーマ。
歌を知らない人がもし居たとしたら、次のリンクを参照してください
→ http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_8e99.html
この歌のメロディと詞とは、疎開世代の、あるいは疎開という言葉の意味を知っている世代の想像力と結びついて、ある種の喪失感を伴った感傷を呼び起こす。
だが、私の周辺ではみな映画の主題曲であることばかりにこだわって、不思議なことに誰もこの歌を昭和20年代の名作ラジオドラマ 「風の又三郎」 に結びつける人が居ないのは、ちょっとさびしいような気がしないでもない。
→ http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card462.html
又三郎君、すなわち転校生で鉱山技師の子、高橋三郎君との短い夏の日の邂逅と、放牧馬を追い駆け迷った草原の中の、風にゆれる背の高いあざみの花の記憶を短編にまとめた宮沢賢治の童話は、今では別の物語の中に時代と背景とを変えて受け継がれ語り継がれているのだろうか。
又三郎君はせわしなく鉱山事業所を渡り歩く父親の転勤にあわせて短いひと夏の記憶を残して去っていった。
「少年時代」の主人公の、疎開から帰京までの短い季節の物語として記憶される感傷と、疎開先から戻った少年が箪笥の上の5球スーパーのダイアルを合わせ聞き入った連続ドラマ「風の又三郎」の遠い日の記憶と重なり合う。
そうだ、アマゾンでまだ読んだことのない少年時代という中古の漫画を買ってみよう。
今朝、里山への途の脇に 色の薄いあざみの花を見つけた。 またひとつの夏が終わろうとしているようだ。
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