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2007年2月23日 (金)

おふくろさんよ

おふくろさん と言っても、これは三浦大根の品種名の話しぢゃない。
 最近、演歌の森進一が歌う「おふくろさん」で騒動が持ち上がっているらしい。 そのことにからんで、ついまた偉そうなボヤキ心がうずいてくる(苦)
  まあ、普通には、歌ってぇのは作曲家と作詞家がつくるもので歌手は色々代わって同じ歌をうたうのだから、歌手が勝手に中味をいじくって歌いたいならそういう依頼を最初にやっておくってのが良識とか常識ってものなんだろう。
 無論、美空ひばりくらいの大物になって、テーマ・イメージを歌手サイドから出しておいて作詞作曲を依頼するってパターンは話しが別だ。

 

とにかく、マスコミのインタビューで自分に向かって怒っている作詞家をあざ笑い揶揄するがごとき演出をする森って歌手には「おふくろさん」のような深い演歌を歌う資格がないんぢゃないか と思うようになった。

 ま、それはおいといて。

 実は似たような間違いを小中の国語教育で日本人は皆やっているんぢゃないかと思う。
 宮沢賢治の「アメニモマケズ」という作品を奇妙に皆そろって称揚しているけれど、あの作品は賢治が自分で発表したものかどうか、ちゃんとわかっている人は少ないんぢゃないか。 まだ推敲中の、しかも「日照りの夏」「日取りの夏」議論があるような未熟な手帳への走り書きを、さも宮沢賢治の代表作であるかのような取り上げ方をするのは如何なものか。

 賢治の作品は実に丹念に言葉を磨き改作し訂正試行をくりかえし長い時間をかけて最終稿に至る過程を踏んでいる。 春と修羅をみれば分かるように、彼の詩の作風は決して朴訥な語り口に終始するものではない。

 年齢で言うなら賢治は萩原朔太郎や野口雨情より10歳若く、中原中也や堀辰雄より10歳年長という時代位置にあった人である。 朔太郎の影響を強くうけたその作風は、言葉で彫刻を刻むかのように緻密であって、その言葉の磨き方も半端ではない。 それなのに、彼の夭折後、遺品の手帳から取り出した未完成の作品「雨ニモマケズ」を後世の勝手な評論家がよってたかって賢治の代表作であるかのような取り上げ方をしているのは、ずいぶん偏向したイデオローグなモノの見方ではないか。 

 あまり声高く言うべきことではないかも知れないが、詩人の言葉に勝手に未熟な言葉を付け足して怒りを買った森進一と、賢治が自ら発表した作品でもないものをあたかも彼の代表作であるかのような取り上げ方をする人間たちと・・・
 どちらも相応にお粗末なものだ と 吐き捨てにできれば当座の気分は済むのだけれど、ブツクサBLOGのネタにしても品に欠けることではある。

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