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2006年7月13日 (木)

帰去来

と言えば陶淵明だが、この詩人との最初の出会いは赤字財政を糾弾された美濃部東京都知事の落選の弁だった。 
 かへらなむ、いざ。  という訓じかたに一種の美学を感じたものだったが。

 後年、確か昭和45年ごろ,トラブル対策で下請けの香港企業に出張したおりの中国人技術者との会話で「帰去来」の感覚を問うてみたところ、これはナンセンスな言葉だ、帰り去り来るというのは意味を成さないと笑われたことがあった。 岩波新書の陶淵明を持参していたので、当該詞句のページを探して、ほれこのとおりお前達の文明が誇るべき詩人の詞(ことば)だろうがと言い返してやった記憶がある。

 考えてみれば、この詞を引用して都知事落選の辞とした美濃部という人はええカッコしぃと言われてしょーがない程の負の実績ばかりを残した人だった。 

しかし、退けぎわに引用した詩によって、私の中での彼の(ろくに知りもしない)人格に対する評価には一定の敬意が織り込まれるようになった。

かへらなむ いざ。 田園将に蕪せんとす。 なんぞ かへらざる。

政治家を辞して学究生活に戻った彼が、その後どのような学問的業績を挙げたかは知らぬ。 戻った田園は荒れ放題だったのかも知れない。
 いずれにしても、彼に対して感じた一定の敬意には、このように卑怯未練な言辞を残さざるを得なかった人間的弱さへの共感と侮蔑感もまた 混然と同居している。

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