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2006年7月 8日 (土)

久しぶりにアマゾンへ本を注文した

きっかけはebonyさんのBLOG記事。
 → http://blog.goo.ne.jp/ebonysuwa193/e/b1f4927995fc9b63e347a75612a79d07
広い世の中には人為的に木を染める事を嫌う人も居るようだが、そういう原理主義的な哲学は脇においといて、染めた木を組木細工してギターの音響孔の作者固有の装飾リングに作るのは40年前からやってみたいと思っていた課題だ。 その模様を見るだけで、そのギターの作者がわかるという面白さはスノッブな貴族趣味に通じるものだった。

 それはさておき、ステージでギターを弾くという経験は、学生のころアルハンブラの思い出を音楽教室の演奏会で弾いたのが最後だ。
 初任給が2万円に届かなかったあのころ、無理に無理を重ねて10万円のギターを買ったのは、いま振り返ってみれば放蕩のきわみとしか形容のしようがない。  そのギターも結婚して生活に追われるようになってからは手にとることもあまりなくなった。 幸いにこのギターを質入れせずになんとか過ごしてこれたのはどういう奇跡だろう。

 マリア、マリエッタ、ラ・グリマ、等々 あのころ、そんなターレガのギター小品に恋焦がれていた。 振り返って、ああだこうだ論(あげつら)うのは単なる老齢期の繰言。  若かった日にしなやかだった指はいまでは見る影もないが、思い出のギターはいまだ後生大事に寝室に飾ったままである。
 もう新しくガットを張りなおすこともないだろうこのギターで、若い命の迷いを振り切ってきたことも、遠い思い出にすぎない。 私が弾くアルハンブラのトレモロが娘の記憶に残っているだけでも、人生は充分に感謝するに足る。  なぁ~んちって。

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