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15年も前の事など

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2006年7月

2006年7月31日 (月)

吾野原木センター

原木センターに口座を設定してからもう1年にもなるのだが、今回の入札参加が初めてみたいなものだった。 前に購入した杉はセリ市で買ったものではなく、「相場金額」を適用してもらって購入したもの。 
 実際の市では現物添付の材の名・販売単位・合計立米値が記入されている資料を予め下見しておいて、午後に市が立ったとき、目星をつけておいた材に競り人が巡ってきたとき立米単位での金額を競り合う。
 添付資料を見て立米単位価格を競ると言ったが、中には資料が添付されていない細い材のヤマもある。 これを競る時には立米単価ではなく、1っ本単位の金額で競りあうのだそうだ。 3m程度10~15cm径の檜材では300円から400円前後の声が多かった。
 おそらく杭に作るとか、集成材にする目的の出荷なのだろうが、こちらのほうはとにかくトラックでも持ち込まないかぎり簡単に搬出できるような量ではない。

 ま、とにかく目的は30cm径で120cm長の杉材をなるべく一杯安く買うことだ。 市の立つのは毎月5/20日という事だったので、今回は目一杯6件7本の材を手当てした。
 競りに参加しさへすれば材を買うことは誰にでも簡単にできる訳だが、当然、その後で材を引き取る作業が必要になる。
 んな訳で、買った材木をいつまでも市場に置いといて貰うわけにもいかず今朝からわが愛車エスティマで吾野川越往復便を発足した。
 片道20km程度の行程なのだが、実際の所要時間は1往復3時間。 案外に信号が多い県道15号だ。
 現地でチェンソーを振り回して1m20に切断、フォークリフトの爪にワイヤーを引っ掛けて1本づつ積み込むのは原木センターの職員が手伝ってくれる。 競りの後の請求書で支払った金額には積み込み料も含まれているのだが、こんなに面倒な客もトラック横付けの客も立米単位で設定されている積み込み料は同じという事だ。 まあ、ちょっとラッキーだが反面肩身の狭い思いもないわけではない(汗)

最初の往復では1本の材を4分割して1m20x3材と60cmx1の短コロにして積み込んだ。 2回目は2本の材を同じように4分割し、アート用材5本と短コロ2本を積み込んで車のサスの限度を確認。 川越の借森へ搬出した。

 川越ではなんと先週風邪で不義理をした現場リーダーのKさんがお孫さんとヤマの散歩をしている所に出っくわしてしまった。
  あれ、風邪はどーしたの。 
 率直にズバっと斬られてしまった気分だったが、なんとか現実のありのままを話してみた。 よーするに、ヤマに来て活力を取り戻すか、その前にヘコタレてしまうかという際どい切り替わりポイントが朝の体調なのだが、話をするだけでもすでに弁解になっているのは仕方のない事だ。 こちらも率直に、市場の材置き場をいつまでも占有しておけないもので・・・とブッチャケた事情を説明した。
 一旦帰宅後、山主さん一家にリョウブと橡と紅梅のボールペンを贈呈した。 ヤマでお目にかかったとき自慢した木工遊びで知った木々の木目の面白さの実例としてだったが、話しが弾んで10月ごろには適当な樫やリョウブなどを伐って構わないという約束ができた。 もっとも、両手で抱えきれないような余り太すぎる樫はプロにお任せしたいと辞退。
 ああ、それにしても今日は気分が良い。  久しぶりの晴天と比較的涼しい風と新しい緑と、それに新しいチェンソーアートの素材が揃うのだ(笑)。
 帰宅して家内の足のマッサージ。 60歳のいまから老々介護の真似ごとと笑うか、それとも朗々介護と洒落てみるか。

2006年7月27日 (木)

片腹痛い

ってぇ言い方は昔よく紙芝居のオヤジがバンダンエモン(だったよな?たしか)や真田十勇士の物語を演じるとき常用した言葉だ。
 おそらく紙芝居の登場人物は笑い転げて片腹が痛くなるくらいに面白い、馬鹿げているという意味で使tった詞だったのだろうが、「片腹が痛くなる」のは必ずしも笑い過ぎの後遺症ばかりとは限らないという新発見(汗)をした。

 あまり咳が続くと体力が消耗する。 勢い良く痰を吐き出すためには咽喉の奥で息を瞬間詰める筋肉が働いて、その瞬間的な開放による気管内の空気流の激しさで痰を排出するのだが、咽喉の炎症が烈しくなって息の溜めが苦痛になってくるに従い、瞬時吐き出したあとの空気流を更に持続させより多くの痰を排出するよう胸郭に残る空気を全て動員する無意識動作に移行してゆく。
 このときの咳はゴホンという破裂音に勢いが無くなってヒューという情けない音がその後を追いかけるようになる。 更に咽喉の痛みが烈しくなるにつれ、破裂音が翳を潜め、単にヒューヒューと気管内の空気を絞り出す音だけの咳になってゆく。
 こうなると、横隔膜の動きだけでなく、意識して胸の筋肉を絞るような動きを添えてやらないと痰を切ることが難しくなる。  つまり全身を使ってその割にはなんとも情けないような力のない咳をするようになる。
 これが数日も続くと、左腹の腹筋にスポット様の痛みのポイントが現れてきて、「片腹痛い」という状況が現出する。

 ん。  
 誰もが経験して知っている話しをトクトクと続けてなんとも片腹痛いBLOGになってしまった。  
 んな訳で、今日は自宅静養。 
 でも、昨日の里山清掃では、さすがに雨天中止を繰り返した1ヶ月ぶりのゴミは多かったものの、久しぶりに皆の顔をみることができて嬉しかった。

2006年7月23日 (日)

田園将に蕪せんとす

先日のBLOGで、なんで美濃部さんの旧い話しを思い出してつまらぬ事を書いたのか、今頃になってよーやく思い出した。 そう、私の家庭菜園が壊滅的な状況にあることを書こうとして高尚ぶって陶淵明から話しを始めたのが、途中で訳がわからなくなってしまったってぇ顛末だった。

 ん~ 帰去来の辞のBLOGを書いたころにはもう微熱があったと記憶しているから、今回のインフルエンザの潜伏期間はそーとーに長かったことになる。

 最悪だったのが21日の夜。 殆ど一睡もできないほどに咳が続いて、折角医者の処方してくれた薬の利き方を呪いつづけて七転八倒しながら、それでもしっかり宮崎アニメの「ハウルの動く城」を見てしまった。 宮崎さん、息子と交替だな、これでは。

 そのまま咳が収まらず、途中ウトウトする程度のままで夜明けを迎えてしまった。 明けて22日は以前から約束していた作業があるのでどうしても休む訳にはいかない。  自分の体の限界は一応弁えているつもりだから無理な行動はしない。 約束は守れるね と自分の体に確認して作業地に向かった。
 寄居の目的地のあたりにつく頃には案の定、ヤマの見える風景に浸っているうちに体のどこかのスイッチが入る。 むふっ(笑)

 幸い当日の作業は極く軽い午前中だけの内容だったので、帰宅するころには下手に自宅静養をしているよりは遥かに健康状態は改善されていた♪

 帰宅して即、犬(ドッグ)フードの買出しにでかけ、夕食の支度を始めた。 今週3回目の父さんクッキング。 家内はまだダウンしっぱなし。 だからメニューは4回連荘の父さん流中華丼(汗)

 気がついたら中華丼の具が冷蔵庫にない。 で、自分の畑のことを思い出してみたら、野菜はほぼ全滅状態 というか、ほとんど植えつけらしきことをしていないままだったのだ・・・

 んな訳で、田園将に蕪せんとす ってのは苦しい言い訳で、実際は蕪し放題の田園で伸び放題の雑草を前に放心寸前の風邪男と成り果てているのでありませり。

 あ~ 明日晴れるか。 無理だろうなあ まだしばらくは。 今朝になって熱もまたブリ反してしまったし(泣)

2006年7月20日 (木)

37度1分

子供の頃には随分と元気な熱を出したものだが、いつの間にかこんな程度の熱が重大事になる年齢になってしまった・・・って、今更わざとらしい(笑)
 先週金曜の朝に汗をかいたまま転寝をして引き込んだ風邪だが、どうやらウイルスに本格的にやられたらしく、最初は烈しい咳が続き咽頭声帯に腫れがきた。  丁度老人性の歯槽膿漏も心配していた所だったので、歯磨き(歯茎磨き)に念入りな舌・口蓋ブラッシングを加えて、弱っている咽喉に雑菌をこれ以上飲み込まないで済むようにしたのだが、中々それだけでは痰もきりにくい。
 対策に追加したイソジンでのウガイ。 予防と治療の区別もつかなくなっているってことだが、薬のラベルをよく確認したら有効期限が2000年となっていた。 そのビンでのウガイを数回繰り返して効果が余り実感できない。 しょーがないなぁと薬箱を探したら、あったあった、新しい箱のイソジン嗽薬。 フタをあけて見つけた便利な計量キャップに、やはり新しいものは随所に改良があるわいと納得しながらちょっと濃い目のヨード液で嗽をしてみたら、心なしか痰が切れやすい♪
 ふむふむやはり有効期限ってのはこんな薬にもあるのかいな とラベルを確認したら、こっちの使用期限は2004年となっていることに気がついた(汗)

 ま、とにかく風邪は経過させるしかないビョーキだから、うまく経過させるために役に立ちそうなことは足湯でもトクホンでも何でも試した。 試しているうちに水曜になって いよいよいけない。
 諦めて川越の赤心堂病院の外来に入ったのがその日、と言ってもつい昨日の朝の11時。
 受付嬢がにこやかかつ丁寧かつ親切にこまごまとしたことを説明してくれた。 しかし、どう見てもその人をみる目つきに同情の念がこもりすぎている。  私が今置かれている状況が若い受付嬢の哀れみを誘うような種類のものである為なのか、あるいは初診問診カードの60歳という年齢具申が彼女の敬老精神を刺激したものであったのか は知らぬ。 

 幸いレントゲン写真2枚で医者は気管支炎以前、おそらく上気道炎と診断。 薬を処方しながら、抗生剤はウイルスには意味がないけれど、などと余計な説明をしなければ充分に名医と確信できたろうに。 残念っ!

 今日、20日になったので、以前から約束していた吾野原木センターの競り市にでかけた。 無論、薬と咳痰対策の飲料水をたっぷりと持参。 競り市の面白さは気の利いた啖呵のやり取りだ。 痰が切れないせつなさと対照的だ ・・・ なんだかうざい ジジイギャグしか思い浮かばなくなっているのは37度1分のセイだ 歳のセイではない。 ごめん。  忘れてくれぃ。

檜の根曲がり38cmの材で競り人が最初に値をつける
「はい2万円からどうだ 2万円2万円2万円2万円・・・」
客が材の品質に文句をつける
「これは真ん中で曲がっているだろ、1万8000だ どうみても」
顔見知りの常連がつけるケチだから、競り人も余りムキになった反論はできない。 しかし、他の客が2万円を受けるという合図。 すかさず別の客が2万1000円と声をかける。
 競り人は得意げに続ける
「ほ~ら だんだん真っ直ぐになってきた。 2万2000円ないか2万2000円ないか!」

 

2006年7月13日 (木)

帰去来

と言えば陶淵明だが、この詩人との最初の出会いは赤字財政を糾弾された美濃部東京都知事の落選の弁だった。 
 かへらなむ、いざ。  という訓じかたに一種の美学を感じたものだったが。

 後年、確か昭和45年ごろ,トラブル対策で下請けの香港企業に出張したおりの中国人技術者との会話で「帰去来」の感覚を問うてみたところ、これはナンセンスな言葉だ、帰り去り来るというのは意味を成さないと笑われたことがあった。 岩波新書の陶淵明を持参していたので、当該詞句のページを探して、ほれこのとおりお前達の文明が誇るべき詩人の詞(ことば)だろうがと言い返してやった記憶がある。

 考えてみれば、この詞を引用して都知事落選の辞とした美濃部という人はええカッコしぃと言われてしょーがない程の負の実績ばかりを残した人だった。 

しかし、退けぎわに引用した詩によって、私の中での彼の(ろくに知りもしない)人格に対する評価には一定の敬意が織り込まれるようになった。

かへらなむ いざ。 田園将に蕪せんとす。 なんぞ かへらざる。

政治家を辞して学究生活に戻った彼が、その後どのような学問的業績を挙げたかは知らぬ。 戻った田園は荒れ放題だったのかも知れない。
 いずれにしても、彼に対して感じた一定の敬意には、このように卑怯未練な言辞を残さざるを得なかった人間的弱さへの共感と侮蔑感もまた 混然と同居している。

2006年7月 8日 (土)

久しぶりにアマゾンへ本を注文した

きっかけはebonyさんのBLOG記事。
 → http://blog.goo.ne.jp/ebonysuwa193/e/b1f4927995fc9b63e347a75612a79d07
広い世の中には人為的に木を染める事を嫌う人も居るようだが、そういう原理主義的な哲学は脇においといて、染めた木を組木細工してギターの音響孔の作者固有の装飾リングに作るのは40年前からやってみたいと思っていた課題だ。 その模様を見るだけで、そのギターの作者がわかるという面白さはスノッブな貴族趣味に通じるものだった。

 それはさておき、ステージでギターを弾くという経験は、学生のころアルハンブラの思い出を音楽教室の演奏会で弾いたのが最後だ。
 初任給が2万円に届かなかったあのころ、無理に無理を重ねて10万円のギターを買ったのは、いま振り返ってみれば放蕩のきわみとしか形容のしようがない。  そのギターも結婚して生活に追われるようになってからは手にとることもあまりなくなった。 幸いにこのギターを質入れせずになんとか過ごしてこれたのはどういう奇跡だろう。

 マリア、マリエッタ、ラ・グリマ、等々 あのころ、そんなターレガのギター小品に恋焦がれていた。 振り返って、ああだこうだ論(あげつら)うのは単なる老齢期の繰言。  若かった日にしなやかだった指はいまでは見る影もないが、思い出のギターはいまだ後生大事に寝室に飾ったままである。
 もう新しくガットを張りなおすこともないだろうこのギターで、若い命の迷いを振り切ってきたことも、遠い思い出にすぎない。 私が弾くアルハンブラのトレモロが娘の記憶に残っているだけでも、人生は充分に感謝するに足る。  なぁ~んちって。

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