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2005年10月 8日 (土)

骨を拾うということ (05.09.25)

昨日のNHK番組。 僧侶がフィリッピン遺骨収集の体験を語るというインタビュー番組にひどく感じるものがあった。
 第2次大戦末期、フィリピンの巨大な洞窟に逃れ隠れた日本人1000人が、追い詰めて迫る米軍から火炎放射器とドラム缶を投げ込まれ、焼き殺された。 ただ1つの出入り口に殺到し炎熱地獄から逃げようとした人たちは待ち構えていた米軍の機関銃に殺しつくされた、その現場であったそうな。

 その骨はそのまま打ち捨てられ、所在がわかっていながら2002年になるまで誰ひとり顧みる事がなかった。
 入り口の骨は60年前の位置にそのまま腐りきらずに残っていたのだった。

 父の最後の場所を訪ねるとした既に老齢となった家族たちは、入り口から知らず歩いてきたドロ水溜まりの底にずっと敷き詰められていたもの全てが遺骨であると知った瞬間、烈しい慟哭と共にその泥水の中に突っ伏してしまったのだとか。
 同行していた修行僧は叱られて般若心経を読もうとしたが、声にはならない。  更に叱咤され嗚咽と慟哭の中に精一杯の声を絞って読経したとき、自分が初めてこの経文に接する思いがしたのだと語<っておった。
 その洞窟の奥には、その1000人の日本人たちが生活した痕跡が当時のまま、碁石もそのままに残されていたという現実にであって、彼は自分の時間軸とこの現場の時間軸とがはじめて接続されたことを感じた。

 毎日読んでいた経文が、その時にはじめて意味をもって彼の中に生まれ直したのだろうか。 宗教的めざめというテーマの書き込みを教育関係の掲示板で読んだことがあったが、おそらくは同根の思いなのだろう。 人間というのは、おそらく、そういう体験によってはじめて脱皮することが可能な生き物なのだ。
 人気TV番組女王の教室の台詞ではないが、「いい加減に目覚めなさい」で簡単に目覚めるものであれば、宇宙はずっと平和でいられるのだが。

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