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2005年5月 1日 (日)

うらなり考

少し古い言葉なのかもしれないが、うらなりの南瓜とか瓢箪とか言って蔓の先端にできた余り出来のよくない作物を「うらなり」と呼ぶことがある。 
 辞書ではこのウラナリを「末成り」と表記するものが多い。 しかし果たしてウラは末であるのだろうか。必ずしも納得できる説明ではないと感じて居たが、辞書に反論する根拠もなにもないまま、ふむ、そういうものか と無思慮にこの言葉を使ってきた。
 
 この語源にハタと思いついたのは木彫で鑿(のみ)を使うようになってからのことだ。

 ご存知のように伝統的な日本の刃物は2種の鉄を組み合わせて構成されるものが多い。
 特に鉋(かんな)や鑿の刃では軟かい鉄(かね)と堅い刃物用の鉄、つまりハ+カネ=ハガネを貼り合わせて作る。 これを砥ぐとき、柔らかい鉄の面をオモテ、ハガネの側をウラと呼んで、最初にオモテを砥いで刃先を鋭く整形し、その後にウラを砥いで切っ先を作って仕上げる。
 この仕上げをウラダシと呼ぶのだが、実にこの用語で示されるように、ウラは裏であってかつ先端の切っ先部分に相当するのである。

 なるほど、ウラというのはこういう刃物を見れば確かに先端に位置する事を示す言葉である。 蔓の先端に着いて摘果の次期を見逃しそのまま放置されて大きくなりすぎた南瓜や胡瓜をウラナリと呼ぶのは、実はそういう由来があるとすれば、なるほど、と納得のゆく言葉の筋道を感じる。
 既にどこかで誰かが思いついている事であるかも知れないが、まあ、こんな事を考えて無限に退屈な時間をつぶすのも悪くもあるまい。 
人生を長い蔓に喩え、ひょんなウラナリ考として投稿する所以である。

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