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2005年5月 1日 (日)

幼き夢の揺り篭よ

 最近、と限った話でもないのだが、中国という国との友好的国際関係なるものが馬脚を顕すことが増えたような気がする。 幸い、日本の主張がブレなくなるにつれて国際世論の中にも日本を支持する意見が増えてきているようでこころ強い。

 中国のカントリーリスクを覚悟した上で日本の空洞化を横目に見ながら大陸に進出していった企業は、これまでSARSと停電程度のリスクとしてしか評価してこなかった中国という国の不安定要因を、少しく見直す契機にしていることだろう。 中国はとにかく無茶な動き方をする国であるし、これからもそれは変らないのではないか。
 あの三峡にわたる巨大ダムも、その出発点で抱かれていた希望的観測を打ち砕くような土砂堆積評価に依拠する計画合理性への疑問が無視されて強行突破が行われてきたと記憶している。
 もしかしたら、あのダム工事の強行は中国版の道路公団問題として理解するべきなのだろうか。 いや、あれは党指導部無謬の神話を保持するための深刻な神学的問題として理解しておくべき事なのだろうか。
 ダム計画のために住居を追われた中国の村人の物語を語るTV報道映像を見ることがあるのだが、つい自分が中学卒業のころに完成した小河内ダムのことを思い出してしまう。

 このダムは東京の水瓶とよばれてきた。

 小河内ダムの計画で村を追われた人々の、湖底に沈む故郷の村への思いは「幼き夢の揺り篭よ」と東海林太郎に歌われたが、起案は明治42年の尾崎行雄東京市長にはじまり、昭和5年に計画が具体化、戦争による中断があって完成は昭和32年に至っている。
 途中、計画執行者と立ち退きを迫られた者との間にうまれた葛藤は、石川達三の「日陰の村」に陰惨に描かれている。
 平成の今、小河内ダムの恩恵を殊更に言挙げして感謝する東京都民というのも希少になっているだろう。 こんな作品があった、こんな歌が歌われた、そんなことさへ誰も知らないで済む時代になったのだろう。

 中国がそういう時代を迎えるのは一体何時のことになるのだろう、と思いはとめどなく茫漠と流れる。

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