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15年も前の事など

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2005年5月

2005年5月 2日 (月)

え? 材木はいらんかね

 ケヤキという樹がある。 武蔵の国、埼玉県のシンボルとして指定されている樹である。欅とは「けやけし」つまり、気高い・貴いという意味をもつ言葉をを語源とする名前であるという。 古くは槻という文字を充てた。

 ごく近隣に白樫(しらかし)をシンボルとする市がある。 これはまた随分と限定した樹の定義を行ったものだ、さぞ植物に詳しい人達ばかりの住む市でもあろうか、と半ば感心してもいたのだが、どうも本来は常識的な水準、つまり大雑把に「かし」としたかったものだったらしい。

 植物の名前には俗に呼ばれる名前と四角張った学名とがある。 おおらかな気持ちで「樫の樹」といっても権威ある図鑑に照合すればそんなものは存在せず、樫は細かく分類され夫々に独特の名前を与えられている。
 想像だが、おそらく指名作業を命じられた担当官は「樫」といわれ確認のために立派な図鑑などを参照して少なからず困ってしまったたのではないだろうか。 図鑑に載せられていない名前を「市」を象徴する樹の名として公表することに自信をもてなかったのではないだろうか。

 アラカシ、シラカシなどの樹を厳密に区別するのは、樹を建築材として看る立場ではそれなりに重要である。 しかし一般市民を代表する立場で外見上それほど大きな差を持たない樹種を専門家の用語を借りて厳密に区別し正確を期して導入したことの意味とは、いったい何であったろう。

 その町に住む老人達は「シラカシ」という市のシンボル・ツリーの名を聞く度に眉をひくつかせ、わざわざ「ああ、樫のことだね」と念を押す。
 
 本音を問いただしてみたのだが、市民が全て植物学者になったり材木問屋に弟子入りする必要はないね、という軽い返事が返ってきた。
(2003年11月4日)

とかく人の世は

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 と知られた名文で始まる漱石の「草枕」だが自分が率先して人の世を住みにくくしたいと思っている奴は元来が少ないものだろう。 皆それぞれに「ため」を思う心でぶつかってしまい、突き詰めてゆけば結局は、人でなしの国にでも行くしかないなどと嘯いて笑ってしまうしかない情の袋小路に嵌まり込むことのあるのが世の中というものだ。  まあ、そんな分かりきったことはどうでも善い。

 でっ ・・・草枕となれば、どうしても有間皇子の椎の葉が連想される と来る訳だ。 どうしてかな。 ・・・ちょっとあざとい前振りだった ごめん。

 「 家にあれば 笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 」

中大兄に冤罪を着せられ縊り殺されるという運命に散った19歳の皇子の御製だが、この歌をじっと見つめていると、あまり解説書に語られることの少ない光景が見えてくるような気がする。
 椎というのは照葉樹で表面に艶があり、通常は大人の掌ほどの大きさの葉をもつ樹だ。 朴やカシワなどの軟らな葉とちがって飯(いい)を盛り付けるには、この葉はいかにも硬く不便この上ない。 椎の葉の大きさを大人の掌サイズと言ったが、実は存外に好い加減なデキで、日陰などの条件によっては随分と大きなものもある。 当時の草枕での食事がどのようなものであったか判らぬが、おそらくはポロポロとこぼれるコメ粒のようなものであったに違いない旅の糧食を載せるには椎の葉はあまり便利なものであったようには思えない。

 ただ、椎の葉を見分ける大きな特徴として、裏からみたとき、その色が金色に輝く事を言い添えておかねばなるまい。

 そのような背景が十分に理解される時代に、みすぼらしい朴の葉でなく、艶やかな椎の葉に盛る、しかも、その葉裏はせめてもの金色に輝く、身分に相応しい葉を選ぶのだという皇子の覚悟の意を篭めた御製であったのだろうと思うとき、ふと小さな疑問の氷解するような満足感を持つことがある。

 同じく皇子の御製と伝えられる「松が枝」の御歌にも、ふと、引き結ぶには雄松の枝は余りに強かろう、ああ、そこまでご自分の力の強くあることを願っておられたのか、「真幸く」「かえりみむ」事を と、老いてから始めた頼りない読解がまた1つ、進んだりする。

あは・・・こんな事を書いていたら、隣家の猫が また嗤って道を横断した。

(2003年10月30日)

2005年5月 1日 (日)

幼き夢の揺り篭よ

 最近、と限った話でもないのだが、中国という国との友好的国際関係なるものが馬脚を顕すことが増えたような気がする。 幸い、日本の主張がブレなくなるにつれて国際世論の中にも日本を支持する意見が増えてきているようでこころ強い。

 中国のカントリーリスクを覚悟した上で日本の空洞化を横目に見ながら大陸に進出していった企業は、これまでSARSと停電程度のリスクとしてしか評価してこなかった中国という国の不安定要因を、少しく見直す契機にしていることだろう。 中国はとにかく無茶な動き方をする国であるし、これからもそれは変らないのではないか。
 あの三峡にわたる巨大ダムも、その出発点で抱かれていた希望的観測を打ち砕くような土砂堆積評価に依拠する計画合理性への疑問が無視されて強行突破が行われてきたと記憶している。
 もしかしたら、あのダム工事の強行は中国版の道路公団問題として理解するべきなのだろうか。 いや、あれは党指導部無謬の神話を保持するための深刻な神学的問題として理解しておくべき事なのだろうか。
 ダム計画のために住居を追われた中国の村人の物語を語るTV報道映像を見ることがあるのだが、つい自分が中学卒業のころに完成した小河内ダムのことを思い出してしまう。

 このダムは東京の水瓶とよばれてきた。

 小河内ダムの計画で村を追われた人々の、湖底に沈む故郷の村への思いは「幼き夢の揺り篭よ」と東海林太郎に歌われたが、起案は明治42年の尾崎行雄東京市長にはじまり、昭和5年に計画が具体化、戦争による中断があって完成は昭和32年に至っている。
 途中、計画執行者と立ち退きを迫られた者との間にうまれた葛藤は、石川達三の「日陰の村」に陰惨に描かれている。
 平成の今、小河内ダムの恩恵を殊更に言挙げして感謝する東京都民というのも希少になっているだろう。 こんな作品があった、こんな歌が歌われた、そんなことさへ誰も知らないで済む時代になったのだろう。

 中国がそういう時代を迎えるのは一体何時のことになるのだろう、と思いはとめどなく茫漠と流れる。

うらなり考

少し古い言葉なのかもしれないが、うらなりの南瓜とか瓢箪とか言って蔓の先端にできた余り出来のよくない作物を「うらなり」と呼ぶことがある。 
 辞書ではこのウラナリを「末成り」と表記するものが多い。 しかし果たしてウラは末であるのだろうか。必ずしも納得できる説明ではないと感じて居たが、辞書に反論する根拠もなにもないまま、ふむ、そういうものか と無思慮にこの言葉を使ってきた。
 
 この語源にハタと思いついたのは木彫で鑿(のみ)を使うようになってからのことだ。

 ご存知のように伝統的な日本の刃物は2種の鉄を組み合わせて構成されるものが多い。
 特に鉋(かんな)や鑿の刃では軟かい鉄(かね)と堅い刃物用の鉄、つまりハ+カネ=ハガネを貼り合わせて作る。 これを砥ぐとき、柔らかい鉄の面をオモテ、ハガネの側をウラと呼んで、最初にオモテを砥いで刃先を鋭く整形し、その後にウラを砥いで切っ先を作って仕上げる。
 この仕上げをウラダシと呼ぶのだが、実にこの用語で示されるように、ウラは裏であってかつ先端の切っ先部分に相当するのである。

 なるほど、ウラというのはこういう刃物を見れば確かに先端に位置する事を示す言葉である。 蔓の先端に着いて摘果の次期を見逃しそのまま放置されて大きくなりすぎた南瓜や胡瓜をウラナリと呼ぶのは、実はそういう由来があるとすれば、なるほど、と納得のゆく言葉の筋道を感じる。
 既にどこかで誰かが思いついている事であるかも知れないが、まあ、こんな事を考えて無限に退屈な時間をつぶすのも悪くもあるまい。 
人生を長い蔓に喩え、ひょんなウラナリ考として投稿する所以である。

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