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15年も前の事など

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2005年3月

2005年3月22日 (火)

戦後60年の区切りに

 今、NHK BSで昭和20年の今日 というテーマの番組が続いている。
昨21日は再放送の日で、昭和20年3月10日早朝の東京大空襲の日の大殺戮がどのように計画され実施されたかが取り上げられていた。 当時の東京下町、深川区で罹災した親の思い出を繰り返し聞かされ育ったものにとって、番組は惨酷と言える位に詳細な取材によって構成されていたが、生存者のひとり、90歳の老人に若手のインタビュアが問いかける言葉の無神経さに、ブラウン管のこちら側の血圧がまたあがりそうになってしまったりもした。

 日本人を人間だとは思わないと戦後になってまで明言していた米人将校たちと、日本家屋の実物大モデルを使って焼夷弾による効果的攻撃方法を検討する軍人達の理性と。 高度2000メートル上空からジャップを焼き殺す「使命」の解説に、およそ世に在るありとあらゆる「正義」なるものの虚構が暴かれてゆく。 私はこの番組をそのように解釈しつつ見続けた。
 3月という凍える季節の寒さの中に人間の手によって作出された炎熱地獄と、そこに生まれる状況の許、次々と肉親の生存を諦めながら尚逃げのびる者達の悲鳴は、ある老人へのインタビューに焦点の1つを当てていた。
 避難先の小学校の深いプールに火炎地獄から身を護ろうと水を求めて入り込んでくる人の圧力と、その力に押されて背の届かないプールの底に沈みこんでおぼれてゆく人と。 もしかしたら、自分と一緒にこのプールに逃げ込んだ妹もそうやって溺れ死んだものだったかも知れない、そして自分もまた、少しでも背の届く所に留まりたいと人を押し誰かの妹を踏みつけていたのかも知れない そう悔悟の念を語る老人に、心無いインタビュアの言葉が、未熟な若い世代の地獄というものへの理解の程度を自白するかのように突き刺さる。
 私の母が被災したのは菊川町の尋常小学校でのことだった。 ああ、TV画面のこのかたは、言問橋でか。 さぞご苦労なさった事だろうと、人それぞれの苦難の道に思いはめぐるのだが・・・
 番組の締めの積りなのか、石原町から蔵前のあたりにある震災祈念館の館長(だったよな?)早乙女勝元氏が相変わらず偉そうな弁舌をふるっている場面では思わず画面に毒づいてしまった。 このイデオロギストが何をぬかすかと。
 幸い、編集のおかげか、いつもの彼のプロパガンダは聞かされずに済んだが奴は自分で作品の中で言っていたとおりにマケ元で終わるべき人間だったと私は思っている。 今、氏の作品の中で思い出すのは「下町の故郷」程度なのだが、若い時分には三一新書版で反戦と分類されるような書物を良く読み漁ったものだ。
 その中のどれほどの作家が、戦争というのは相手があってするものだという簡単で自明の事を正面から取り上げていただろうか。 いつも片手落ちの左翼の視点からしかモノを見ないで済ませてきた人たちを、ある時期から、私は心底軽蔑するようになった。 このような地上の地獄から父母を兄弟姉妹を同胞を護ろうと特攻に志願する若者たちが在ったことを、なぜ彼らは隠蔽したがっ
たのだろうか。 若者たちのどこに批難に値するべき咎があったと言うのだろうか。 白菊隊のごとき外道の上をゆく外道の事例を引き合いに出し、ルメイ将軍への勲章授与の戦後の屈辱をひやかしの種にするという人格の卑しさを、なぜ彼ら言論人たちは恥じることがないのだろうか。
 早乙女さんに代表されるような言論人の時代は、もうとっくに終わっているのだ。 私はそう信じたい。
 今はこの生意気なだけにしか思われないインタビュアーの冷静な問いかけにこそ、次の世代に受け継がれるべき、古くて新しい意味をもう一度私たち自身が個別に、見つけなければならないという時代なのだ。
 
 あれから60年経過し、番組の最初の取材でジャップを人間と思ったことはないと明言したB29の元爆撃手に再び焦点が当てられる。

 日本人と結婚し静岡に住むことになった自分の息子の許を訪ねた彼は、昼の銀座の歩行者天国を散策したとき、その路上で晴れた空を見上げ自分の爆撃機が今まさに焼夷弾攻撃を仕掛けている光景を眼にしたという。
 そこにはひとびとが居た。 人々の姿が彼の眼にも見えた。そういう授業をこの元爆撃手は故郷の小学校で生徒達に語りかけているのだという。

 日本人も、そしてこの米国人も、どのような国籍にあれ、その人が世界を見る視点に愛がなければただの外道にすぎない。 その愛は、人とのつながりを意識したときにしか生まれる筈がないではないか。 
 ロシア・中国・韓国のみを正当化し、天皇を責め、軍国を責める以外に何ももたらさなかった日本の「革新」思想は、近年とりわけ露骨になってきた中国・韓国からの強請外交に対しどういう回答を用意しているのだろうか。 南京大虐殺に関し共同調査を呼びかけた日本外務省の提案を拒絶する中国首脳の方針を、どのように理解せよと言うのだろうか。
 醜悪さを晒し反面教師の役割を果たすだけというなら、右も左も、もう十分すぎると思うのだが。

2005年3月22日(火)

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