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2003年7月30日 (水)

巫山の夢

 幾度か検索をかけてみたのに、どう試してもWEB上では基の資料に辿り付けない、しかし忘れがたい句がある。

 人恋の 真冬の海の遠鳴りよ 夜毎巫山の夢はみるとも

 蛍雪時代などの受験誌誌上で昭和30年代前半、おおいに人気のあった国語の先生で保坂弘司という人の名を、覚えておられる向きもあるのではないだろうか。
 この受験世界で高名となり功成り名遂げた者の通例にしたがい、保坂氏も例の如くに自伝的半生記を著しているのだが、当時、一読者であった自分の受験生活を回想してみれば、保坂氏は単なる受験の技術指導だけでなく、読者にとって終生の道標となる作品を遺していた教師でもあった事に気が付く。
 題して「生きゆくの記」。 学燈社が初版と記憶。
 不思議と鮮明な記憶であるのは、その中の小品群からそれだけ強い印象を受けた為なのだろうが、あへて1つの理由らしきものをこじつけてみれば、その短い小品集の中に佐藤晴夫との出会いが埋め込まれていた為だったのだと思っている。
 あはれ秋風よこころあらば伝へてよ と始まる秋刀魚の歌で知られる佐藤春夫と谷崎潤一郎夫人との恋のものがたりは、その詩集が発刊された時期には既に当人達にとってさへ過ぎさった日の記憶、ふるい思い出となっていたのだろう。
 その詩集の「海辺の恋」と題された詞の中では、その恋の記憶は一層純化されあたかも幼年の日のとおい記憶の中の出来事であったかのように、すべての生々しさを封印し去っている。

 こぼれ松葉を かきあつめ をとめのごとき 君なりき
   こぼれ松葉に 火をはなち わらべのごとき 吾なりき

 若い日に、受験の息苦しさから逃れるようにして読んだ保坂氏の著作の中での佐藤春夫との出会いは、際限のない暗記作業の甲斐ない時間を繰り返す苛立ちを忘れさせ、この見知らぬ詩人が体験した恋への淡い追想に寄り添ってみる事によって一種表現しがたく狂おしい若い感情をいずこかへ揮発させるものでもあった。

 銀行員であり、かつ又高名な作曲家である、という稀有の才を自ら磨き上げた小椋佳は、この詞(ことば)に曲を与えるところにまで感動を昇華させたのだが、完成されたやや復古調の寮歌風の調べには、聞くたびに偉大なる俗物への賞賛と感歎の思いとを新たにさせられる。
  もしかしたら、と思う。
  もしかしたら 私と同じ年代である小椋氏も、あの息苦しい受験勉強の中で、同じようにしてこの保坂弘司の小品にめぐりあっていたのではないか。 もしかしたらあの受験生活の息苦しさこそが、このメロディの持つたおやかさの秘密なのではないか、などと身勝手な思い入れを深くするこ
とがある。

 わらべとをとめ よりそひぬ ただたまゆらの 火をかこみ
   うれしくふたり 手をとりぬ かひなきことを ただ夢み

 最初に引用した短歌は、保坂氏が学生のころに主宰した同人雑誌「わこうど」へ投稿する女性会員との短い邂逅の記憶を書き留めた短編の中のものである。 保坂氏の手になる書の前書きは以下のように始まっていた
『ある魂がある時代をひたむきに生きた記録は、それ自体にかけがえのない意味があるという。 (略) 改めていう。 人間の才能には、秀才も凡才も含めて、限界があるのだ。 この限られた才を生かす道は、一時に1つの事をたしかにやってゆくことをおいて他にはないのである。 このことを私と約束して下さる人だけに、この書を読んでいただきたいと思う。』

 今の若者が青春のこの大切な時期にいだいているであろう幽悶や嘆きは、このような者たちの発した言葉に、一体どういう違和感とどういう共感とを感じていることだろうか。  ぼくたちは、今、小椋佳と佐藤春夫たちのように世代を超えて互いに交わしあう言葉を持っているのだろうか。

 手元に残る本の検印省略票には昭和34年初版となっている。 1959年というのはどういう年だったかしら。 家永三郎氏もまだこの時期は政治的な色合いの強い教科書裁判にのめり込む以前の、比較的おだやかな言論に終始していた時期だったような気がする。

2003.7.30

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