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2003年6月20日 (金)

百物語

江戸期末の庶民心情を1つの風景として描く杉浦日向子さんの「百物語」という漫画がありました。
 ある町のご隠居がふと思いついて、100本の線香を用意し、訪ねてくる人毎に1つの話をして貰い、話の終わる度に1本の線香を手向けてその物語を供養する。 最後の1本は、話を聞いた心への供養としてつかいますので、実際に描かれているのは99話までになっています。
 中身は庶民の普段の生活の中で気に留まった何気ない物語ばかりで、魑魅魍魎の世界といえばそれまで。 同じ杉浦さんの「ニッポニアニッポン」という作品は、この百物語と合わせ鏡として読むことで、明治初期の江戸を描いて見事であると思いました。 中身とか結論とか そういうものは一切なし。

 明治の元勲である勝海舟を批判した福沢諭吉の「痩せ我慢の説」は諭吉の死の直前にようやく出版された著作で、その代弁者として知られる人物として「碩果生」が知られています。 しかし、碩果生の評論は、こういう庶民が外国に対して抱いた恐怖に対して知識人が並べてみせた屁理屈に過ぎないと言えます。 鹿鳴館の立案時期には、その建設が有効であると信じる人間が大多数であった。 
しかし、実際に出来上がるころには、その効用を疑う人間層も増えてきていた そういう経過を指して時代の激変と言うわけです。  
なるほど政局の当事者であってみれば、いくら小栗上野がフランスを頼ろうとしても肝心のナポレオンが本国でひっくり返ってしまっていれば、フランス借款などの実効はなかっただろうと思います。 だから勝海舟のおかしたリスクは、本人が言うほど大きなものではなかった とする碩果生の論には、一見した限りにおいては、理がありそうに見える。
 その時代のことをよく知りもしないでフランス危機が幕末にあったとするが如き風説に惑わされてはならない という組み立てをして、碩子は福沢の勝批判を正当化しているのですが、まともに福沢の痩せ我慢の説を弁護しようとするなら、本当はこれは筋が違っているのです。

 ま、それはおいといて。

 その時代のことをよく知りもしないで という言説には、色々な品質があります。 この話法は、実に簡単にひっくり返る。 だから10年ひと昔という言い方がよく使われていたのですが、今ですと、中国をみるなら1年でひと昔になりそうです。 中国が脱亜入欧にかけているエネルギーは凄まじいものがありますが、孫文が今の時代に生きていたらなんと言うでしょうかしら。  をっと、これも際限のない無駄話になりそう。

 おもしろいと思ったのは、明治10年、福沢は西郷擁護論や痩せ我慢の説等を実際に自分で発表できるほどの存在ではなかったという点です。 ただ、福沢の偉大な点は、個人が国家と対峙し得るほどの存在になれる と論じた点です。
 これが彼の「学問ノススメ」の本質であって、単なる学塾のCMに過ぎなかった書物(!慶応の関係者には申し訳ないけれど)が熱狂的に支持されたため、長い続編を書くことになってしまった。  当然、そういう時代ですから書き始めた時の福沢と、書き終わる頃の福沢とがどれだけのアイデンティティを保持していたのか疑問もあります。

 倫理が宗教と重なる部分というのは相当に大きいと思います。 自分の郷里を大切に思い、他県出身者と一線を画するという習慣は、つい最近まで(一部には今でも)普通にみられる意識でした。  同様に出身学校や職業、資格によって自己と他者とを切り分けるというのも、狭く日本国内に限らず、人間世界に普遍の原理とも見える価値観だと思います。 
 その枠の範囲内で、互いに自分を尊しとし他者をも敬する。 敬するに足ると信じる理由は、他者も自分と同じように、たとへば郷土愛を誇りにする事 を知るからでありましょう。 これは一歩崩れれば差別意識に直結します。 事実として、東洋も西洋も、ムカシというのは差別ぬきに語ることのできない時代のことを指すのだと思います。
こんな話をしても、たぶん何も新しいことは伝えていないと思っているんですが、アメリカ内戦で、正義と郷土愛とをかけて互いに戦った記憶と、その結果として、事実として生じた惨状とを対比して生まれたのがアメリカのプラグマティズムです。 私が高校生のころ、福沢、橘、松下幸之助を並列してみることで「ことば」としての思想というものの限界への処方箋が見えるように思ったのです。 幸之助の水道哲学を指して水道方式などと揶揄する人間層があります。 思想を超えるものは実践であるという意味で、橘が構想した生協的な共同体組織は、そういう思考層からはうまれなかったことを肝に銘じるべきだと思っています。 とは言いながら、実践を超えるものは理念であるという反語も、予め了承します。 しかし、それは現在ここにある理念ではないだろうと思うのですね。

郷土愛やナショナリズムを否定したら、出発点を喪った人間は、退化するしかありません。 かなしいことに、それが国家という枠組みにそのまま延長されて近代という名を冠された、それが明治というものだった。

杉浦さんの漫画は、そういう庶民の汗のにおいを伝えてくれるようです。

2003.6.20

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